2021年11月10日水曜日

横浜菊名 定食屋『猫丸食堂』

 菊名駅から徒歩で1分の近さにある「猫丸食堂」がお気に入りだ。
個人的に一番のお薦めは「サーモンガーリックステーキ定食」1,350円

メニューのラインナップを見るとお店としては、メンチカツと鯖の味噌煮が売りのようで、いくつかのメニューやセットにこれらが絡んでくる。どちらもとても美味しいので、もしお財布とお腹に余裕があれば単品でも試してほしい。

 常連さんがよく頼んでいるのを見るのは、生姜焼き定食980円

 営業時間は平日土曜のランチ営業と月水金の夜。日曜日は休みなので、勤務先が近くないとなかなか通える回数も限られてくる。常連さんが羨ましい。
 丼物も充実、牡蛎フライ卵とじ丼980円

 お店は駅前通りからはわかりずらいので、ぜひGooglemaps 先生で下調べして来てほしい。
  それから大事なこと、少ない席数に加えてご夫婦二人のオペレーションのため、まあまあ待たされることもあるので、急いでいるときは時間が気になって味すらも分からなくなってしまう。そんなときにはまた別の機会にした方がよいだろう。


2021年11月8日月曜日

トロンボーンのクリーニング

 トロンボーンを初めてクリーニングに出した。


 見た目が見違えるほどキレイになって帰ってきたことと、素人ながらもなんだか低音がとても出しやすくなった気がして、とても満足している。

 それまで「トロンボーンはメンテナンスとか必要ないですよ。」と言われていたり、クリーニングに出すにしてもどこへ持って行くのがコスパ的にも最適解なのか?などと迷っている内に一年ほど経過してしまった。

 それで結局振り出しに戻りヤマハへ持って行くことにした。私のトロンボーンメーカーが国内であまりサービスしていないことと、ヤマハがコロナきっかけでオンライン相談を受けるようになったことが決め手になった。ホームページで料金が明示されていたことも安心感につながった。

 事前に一度状態を見てもらって、処置の方針と概算見積もりの意識合わせ、予約を入れて再度持参して預け入れ、預かり一週間のところ予定より二日前倒しで完了連絡がきた。費用も概算より幾分安く収まった。(概算は後からトラブらないように高めに提示するんだと思う)

 仕事の合間を見つけて受取に向かい、見違えるほどキレイになった楽器を受け取り、少しだけ試奏させてもらった。こういう時って正直何を吹いたら良いのか分からない。分からない上に変な自意識が邪魔をして、余計に中途半端な吹き方をしてしまう。まあ持って帰ってから「あれ?なにコレ変」てならないように、一応お店で確認するだけなんだけどね。

 結論、今回思い切ってトロンボーンをクリーニングに出して良かった。値段も含めて納得の仕上がり。毎年とまではいかないにしても、またしばらくしたらヤマハでクリーニングお願いしようと思う。

#クリーニングに出して一年以上引き取らない客も居るんですって、倉庫代わりに使うのは止めましょうね。

2021年10月21日木曜日

Google アナリティクス検定を目指す1

 会社の人材施策により、リスキリングが盛んに進められている。  「DX人材への転換」ということらしい。自分がいったいどうなれば「DX人材」なのかはよくわからないが、人事部が示した教育・資格取得の候補からいくつか選ばなければならない状況になった。  最近自分の仕事に行き詰まりも感じるし、給料だって役職が上がらない限りは10年以上据え置きだ。新しいスキルを身に着けてこれからのジョブ型とやらで収入アップを狙うか(そういう制度かどうかは知らんけど)、もっと言えば社外でも通じるスキルがあるのも悪くない。(とても残念なことに私の持っているプログラミングスキルは20年前に使い物にならなくなった)  会社が取得推奨している資格の1つに「Googleアナリティクス個人認定資格(GAIQ)」がある。  私はWebのアクセス解析ツールである「Googleアナリティクス」のオペレーター資格のように理解している。ネットで調べてみるとこれからの世の中どの会社でも役に立ちそうだし、試験も随時受験できるみたいだ。ということで先週あたりから勉強を始めている。

2021年10月12日火曜日

10年塩漬けなBlogを発見

 Blogを書かなくなって久しい。

ここのBlogを見る限り10年だ。

 Twitterが「1行Blog」ともてはやされる一方で、noteのようにまとまった内容を公開する場もある。そしてまるで生き残りのようにBlogを続けている人たちもいる。

 しばらくTwitterで、それこそ日々のつぶやきを吐き捨てるように放出してきたが、はやりなんだか少しまとまった表現ができる場所が恋しくなっていることは確かだ。

 その間、自分の考え方を書き綴る(半分吐き捨てるように)場所は個人のネットワークストレージであって(その名もGloogle drive)、誰にも見られないという心持で書いているので、まるっきり自己中でまるっきり身勝手なかき捨てになっていた。


 さて、今ここで10年ぶりにこのBlogアカウントを復活するにあたり、「さてどうしたものかと」過去記事を全部消し去り、新たなプロフィールと新たなカラーで記事を書き始めるのか、過去の自分はそれとして残し認めたうえで、これから書き足していくのか。

 いづれにしてもアフェリエイト的には全く金にならない選択ではあるが、この先何十年(尾所r九200年以内には消えていると思うが)も残るオンライン記録として、私だけでない全世界のくだらないこの書き込みを、全くの自己満足で続けることは、少なくとも自分自身にとってはとても意味があると感じている。

 これからまた記録が再開していくか。

 はたまた、更に10年のブランクを迎えるのか。

いや、もう私には十分な時間があるではないか。あのMobile Gear一本でテキストを量産していたころを思い出して、思いつくままに書き綴り、残していこうではないか。


未来のストレージ事情がどうなっていようが、それは未来の人に考えてもらうことにしよう。

2013年6月1日土曜日

太宰治『人間失格』を読んだ


太宰治の“あの”人間失格を読んだ。

Google bookの無料図書で目に付いたので、読んでみた。

「読んでみた」と言っておいて、すぐに否定するのも恐縮だが、

読み進めるうちに、以前にも読んでいたことに気付いたので、

正確には「読み返した」が正しい。

思い出してみると、実は中学生の頃にこの辺りの本を読み漁っていたのだ。

そして、当時は単にストーリーだけを追っていて、太宰が何を伝えたかったのかを、

まるで想像もしていなかったことに気付いた。

まぁでも恐らくは、想像しても当時の自分にはまるっきり

分からなかっただろう。

今回感じたことは、自分はこの主人公と類似の心の闇を持っているし、

また数多の人達も同様に持っているだろう。ということ。

人として生まれて、社会で暮らすすべての人が、多かれ少なかれ

思い感じていることを、主人公をつかって代弁している。

そしてまた、この主人公を取り巻く登場人物をして、

私たちの日常に於ける矛盾と、その矛盾に対する黙殺。

又は、心による否定を表しているんだ。

そんな感想を持った。

この主人公に降りかかった災難は、それほど特殊なことではなく、

ある環境と条件の一致によって、誰にでも起こることであり、

誰でもそこへ落ちてゆける心の素質を持っているんだと思った。